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来島海峡急流観潮船

来島海峡急流体験みどころマップ
▼インフォメーション
コース 下田水港==武志島==中渡島==馬島==小島==来島==波止浜湾==下田水港
所要時間 約45分
営業時間 午前9時頃~午後4時頃
出航時間 潮流等により毎日変わりますので、事前にお問い合せ下さい。潮流推算(来島海峡の毎時間毎の潮流がご確認できます)
定休日 年中無休
*12月~2月は団体予約(5名様以上)のみ運行

1.来島海峡大橋

来島海峡大橋

サイクリングしまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ総延長約60㎞の自動車本四連絡橋3つの中で、唯一、自転車・歩行者専用道路があり、平成22年には日本経済新聞のおすすめサイクリングコースで、堂々の全国1位に選ばれました。急潮流や、渦潮、多島美で有名な瀬戸内の島々をながめながら、自転車や徒歩でゆったりと渡ることができます。

このしまなみ海道のなかでも、一番大きな橋が来島海峡大橋です。

来島大橋大島側から来島海峡第一大橋960m、真ん中が第二大橋1515m、四国側が第三大橋1570mとなっており、総延長は約4km。世界初の3連吊橋としても有名です。来島第2・第3大橋は塔の頂上まで、海面から184m。橋げたまでの高さは65mもあって、巨大な船でも楽々と通りぬけることができます。

2.橋桁

来島海峡大橋 橋桁

この来島海峡大橋に使われた鉄の重さは約10万トン。
コンクリートの量もおよそ48万㎡でコンクリートミキサー車10万台分です。

3.武志島(むしじま)

武志島

この湾内にある、橋のケーブルを固定する巨大なおもり、アンカレイジは海底から約90㍍。海面からは約60メートルの高さがあり、使用されたコンクリートは15万㎥とミキサー車5万台分にもなります。

西暦1200年頃、武志島には、村上頼遠(よりとう)が築いた水軍の砦、務司城(むしじょう)がありました。今も石垣や古井戸、武者走りなどが残されています。 毛無島(けなしじま)、小武志島(こむしじま)はその出城になっていました。

明治から大正にかけて、桃の栽培が試みられたことがありましたが、現在は無人島となっています。

4.八幡渦(はちまんうず)

八幡渦

ここ来島海峡は、『一に来島、二に鳴門、三とくだって馬関瀬戸(ばかんせと)』とうたわれたように、鳴門海峡・関門海峡と並ぶ日本三大急潮のひとつ。荒々しい潮流は、最大時に10ノット、落差2メートル、時速18kmにも達します。

大潮の時には直径10m以上の八幡渦(はちまんうず)と呼ばれる巨大な渦がいくつも発生します。潮の流れが速い上に、船の通航水路としてはとても狭く、湾曲しており、全国的にも有名な海の難所です。

5.中渡島(なかとしま)潮流信号所

中渡島潮流信号所

正面に見えています白い灯台のある島は、かつて村上清長(きよなが)を城主とした中途城(なかとじょう)があり、室町期には、隣の務司城(むしじょう)とともに水軍の本陣になりました。その城跡は現在、白い灯台の中渡島潮流信号所になっています。

ここは、明治42年(西暦1909)日本で最初につくられた潮流信号所です。このとき使用されたのが、腕木式潮流信号機といい、両腕の先端にある赤い丸と、黒い四角のプレートが、交互に上下して、潮流の向きを船舶に伝える仕組みが取られました。明治42年新設当時から平成2年まで81年間使用された初代信号機は、現在今治市のサイクリングターミナル、サンライズ糸山の玄関前に保存されています。その後、腕木式信号機は二代目に変わり、100年以上も前から、海上交通の要である来島海峡の安全を守り続けてきました。

世界でも、この来島海峡だけにしか残っていなかった、腕木式潮流信号機も、時代とともに、灯台式へと変わっていきます。

腕木式潮流信号

100年間ありがとう

潮流信号の電光表示方式への統一に伴い、
明治42年(1909年)8月15日から、腕木方式と灯光方式により業務を行ってきた中渡島潮流信号所は、平成24年3月下旬をもって幕を閉じることとなります。これにより、腕木方式による我が国の潮流信号はすべて廃止となります。

6.波止浜(はしはま)湾

波止浜湾

水軍の歴史は、この海と共にその後さまざまな産業に姿を変えていきました。かつて、この波止浜湾には入浜式塩田が築造され、全国有数の塩の産地として知られ、江戸時代には塩買い船や窯焚き燃料の運搬船で賑わいました。塩田と港町で栄えたこの湾は「伊予の小長崎」と言われるくらいの盛況ぶりでした。

その後、海の要衝という地の利を生かし海運業が盛んになり、それに使われる船の修理や建造が行なわれるようになりました。塩田の豊かさと、来島海峡の地の利が、この地に海運業と造船業を根付かせ、日本一の海事都市「今治」がここに誕生しました。

造船所長さ1km、幅300mのハコガタ湾。この湾が今治の造船業発祥の地となっています。大小のクレーンがそびえ、船の修理や、新しい船が建造される光景を見ることができます。建造実績は日本でトップクラス、世界でも有数の今治造船グループを始め、日本屈指の造船企業があります。今治は、船の電気工事や設備などの舶用関連企業も数多くあり、造船に関することならすべてが揃う一大集積地として全世界に知られています。

7.来島(くるしま)

来島

来島城址正面の島が来島です。周囲わずか850mの小さい島です。来島村上水軍の本拠地として知られています。島全体が、急流に守られた天然の要塞で、周囲は石垣をめぐらし、本丸、二の丸、三の丸を備え、立派な城壁も築かれていました。今も古井戸や桟橋を立てた柱の穴が残されています。

二の丸跡の村上神社は、村上氏の祖先を祀るもので、山頂近くの心月庵(しんげつあん)は来島城主の位牌を安置しています。また島には黙って切るとお腹が痛くなるという伝説の矢竹があり、難攻不落の城は神のご加護によると信じられていました。渡船場近くに佇む神社が来島八千矛(くるしまやちほこ)神社です。今の松山・道後湯築城(ゆづきじょう)の河野氏が来島築城の時、守り神として建立したものだと伝えられています。

8.小島(おしま)

小島

小島周囲約3キロの島です。日露戦争前、日本はロシア海軍の瀬戸内侵攻にそなえて、小島に要塞を築きました。中部堡塁にあった28センチ榴弾砲6門は、日露戦争中に撤去され、戦場に送られています。うち2門は旅順に運ばれ、不落といわれた大陸の激戦地・203高地の攻略に重大な役割を果たしたと言われ、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」ゆかりの地として脚光を浴びています。明治時代の海岸要塞としては、完全に近い状態で残っている日本唯一のものです。

9.馬島(うましま)

馬島

来島第二大橋と来島第三大橋を固定する巨大なおもり、アンカレイジが置かれている島が馬島です。しまなみ海道のなかで唯一、歩行者、自転車、125cc以下のバイクが橋に設置されているエレベーターで島に降りることができます。

馬島の名前の由来は馬の形ではなく、昔今治藩の馬の放牧場があったからなんです。古くは「牧島(まきしま)」といわれ、伝説ではこの島には野生の青い馬と栗毛の馬の2頭が生息し、植えた種や収穫物を荒らしたといいます。そこでこの馬を退治したところ、作物ができるようになりました。

江戸時代には、島全体に牧草が生い茂り、放牧に最適の土地であったため、今治藩の牧場となっていました。現在はワカメ、ひじき、テングサなどの海藻採取や漁業、花卉栽培などがおこなわれています。花卉栽培のきっかけは、路地咲きのマーガレットを1月はじめの冬の季節に見つけたことから。島にはビニールハウスがあり、色とりどりの花が島を染めていきます。

10.来島海峡海上交通センター

来島海峡海上交通センター

来島海峡の安全を見守る来島海峡海上交通センター。

潜水艦来島海峡は、九州方面と関西方面を結ぶ瀬戸内海航路のちょうど真ん中に位置し、交通の要衝となっています。外国船舶も含め、コンテナ船、タンカー、貨物船、クルーズ客船、自衛艦、潜水艦など、さまざまな種類の船が行き来する国際航路です。

馬島を境に、馬島と小島の間を西水道、馬島と中渡島の間を中水道と呼び、大型船舶はこのどちらかを通航するように決めれられています。それぞれの水路は一方通行になっており、潮の流れの向きによって通航できる水路が変わります。

この航法は「順中逆西」と呼ばれ、潮の流れと同じ方向に航行する時は中水道、潮の流れと反対方向に航行する時は西水道を航行する決まりになっています。一般に、船舶は右側航行になっていますが、こうした切替方式をとっているのは、世界で唯一、ここ来島海峡だけです。
さらに、安全のため、200mを超える巨大船は、潮どまり前後の潮流のゆるやかな時間帯に、中水道を通航することが義務付けられています。

このような、来島海峡の複雑な海上交通を24時間体制で監視し、船が安全に通航できるように航行管制や情報提供を行っているのが、今治側の小高い山の上にあるグレーの塔、「来島海峡海上交通センター」です。